みなさんこんにちは
今回はみんなが嫌いであろう勉強の話です
みなさん一度はふと考えたことはないでしょうか
「なんでこんなに勉強する必要があるんだ?」と、それで勉強が嫌になって身に入らないなんてこともよくあると思います
そこで今日は5教科を勉強する意味を説いていこうかと思います
5教科とは
ここでは高校まで普通科であることを想定として話します
なぜならそうでもしないと、工業科や商業の高校ではそもそも勉強する項目が違いますのでここでは普通科とします
書く必要はないかもしれませんが、忘れてる人のために説明します
5教科とは以下の5つのことを言います
・国語
・数学
・英語
・理科
・社会
もっと細かくすることもできますが、ここでは大まかに分けさせていただきます
小学校から高校まで主に学ぶ教科です
勉強する意味
結論から申し上げますと、勉強する意味とは他人から評価してもらうのに一番平等で効率的だからです
あんまりこんな考えをする人はいないかもしれませんが、そもそもなぜ18歳くらいまでみんな同じ教科を勉強する意味があるのでしょうか
勉強ってつらいですよね
人によっては勉強より他の項目(部活や人それぞれの考え方)を評価してほしいという人がいると思います
しかし、それでは他人が定めている評価項目から逸脱しているのです
どれだけ勉強以外の力が仮にあったとしても、基本的には他人が定めた評価項目に沿わなければ一切評価はされません
どれだけすごくても誰も認めませんし、自分で何かを起こそうとしても結局は評価されないと意味がないのです
評価は偉い人が作っているので、もしその評価が気に食わないというなら自分が評価する側に回ればいいだけの話です
本当の評価項目
人への評価項目は星の数ほどある
本当のことを言えば人に対する評価というのは十人十色です
純粋に勉強ができるといっても、その勉強が5教科以外のことだったり、機械のことだったり、その機械でもパソコン系なのか工業系なのか
はたまた芸術であったりスポーツであったり料理であったりと多種多様に評価項目があるのです
それも数えきれないほどで時代とともにその評価項目は増えていきます
そりゃそうですよね。人によってできることというのは全く違うわけですし、同じことをやったとしても全く違うものが出来てくるのは当然だと思います。
この部分は大人が考える部分なのですが、人には多種多様な評価がありますので、こいつはダメだ何にもできないというのはただの思い込みで適材適所に使えてないだけです
現実は各個人ごとの評価はできない
ただ現実でそんなことをしてもめんどくさいだけです
小中高と各個人に対してそれぞれ違う評価もできなくはないですが、それをするにはあまりにも時間が足りません
そんなことをしたら先生たちが過労で倒れますし、就職だとそれなりに意味はあるのでしょうけど
進学になるとこういう評価は全く意味がないです。入試にもなるとまた5教科で統一の評価方法をとってきます
なので、いくら各個人で評価をしてくれといっても結局進学になると意味がないので評価してもらうためにも5教科を勉強するしかないのです
そうは言っても勉強は嫌なものです
所詮評価する人も仕事なので効率性を求める
勉強を評価するのは先生です。そして先生も仕事として教えています。
学校の先生は生徒に勉強を教えるだけではありません。生徒がちゃんとした学校生活を送れるように生活指導もしていかないといけません。
それ以外にも課外活動や部活動、学園祭や修学旅行、保護者対応などなど教鞭を取る以外の仕事のほうが多い気もします
仕事をする以上は効率化が必要です。その中で各個人それぞれ違う項目で評価してくれというのは先生に対して過労になってもいいというのと同じです
仕事をする以上効率化を求めるのは当たり前です。生徒に対して効率よく評価していくにはやはり同一の科目を勉強させて同一のテストを受けさせることで評価をするのが一番早いのです
学生も苦労しているかもしれませんが、先生も苦労しているのです。そしてそんなに生徒にかまってられません。
回りくどいことは考えないで手っ取り早く評価してもらうために勉強をしたほうが得です
同一の評価で競争もできる
同じ科目を評価することで一つメリットがあります。それは競争をさせやすいことです。
世の中競争のない世界なんてありません。何事も競争があるからみんな努力をするのです。
競争はやだといってもこの世の中に生きている限り競争は絶対になくなりませんしなくせません
評価項目がそれぞれ違うと競争もしなくなり危機感もなくなり、自堕落な生活を送る人も出てくると思います
評価項目が同じだと競争をさせやすく、順位も明白です。どれだけ順位はやだといっても順位は絶対に出ます。それが競争であり、世の中の仕組みなのです。
小学生のとき運動会のリレーで全クラス一緒にゴールできるように時間差でスタートした記憶あって見事に失敗して先生達が青ざめてて保護者からも白い目で見られてました
社会と勉強
実際に仕事したら学校の勉強は役に立たない
社会人のほとんどは経験しているとは思いますが、仕事をする上では学校の勉強なんてものは全く役には立ちません
なぜか、それは5教科というのは大学や会社に入るための評価項目としてしか見られないため、それが出来るからと言って仕事もできるとは限らないからです
私の経験なのですが、私は大学では主に数学を勉強していたのですが、実際に社会に出てみたら数学なんてのは全く使っていません
今でもたまにyoutubeやニコニコ動画で数学関連の動画を見ることはありますが、仕事で数学を使うなんてことは一切ありません
それだけ勉強というのは何かに入るための評価項目でしかないということです
むしろ社会に出てから勉強することが多い
社会に出ればいかに学校で学んだことよりはるかに量が多いことに驚きます
ここで勉強を統一の評価項目でしてきたことが役に立ちます。それはテスト等の点数を見ることでどれだけ仕事を覚えられるか、新しいことも覚えられるかを見定められるからです
社会に出れば、今度は会社または顧客に評価してもらうために勉強をしていかなければなりません
その内容は学校の内容とは全く別物です。勉強することに意味がないなんてことはないのですが、勉強できたとして社会に出たらさらに勉強しないといけないことが多いということは覚えておいてください
学校の勉強が役に立つ例
じゃあ社会って勉強が役に立たないのかよと思うかもしれませんが一部例外は存在します
今回はその一部を掲載します。間違っていたらtwitterで訂正していただければ幸いです
医歯薬系の先生
医歯薬系というのは「医者」「歯医者」「薬剤師」のことをいいます
これはもうわかりますよね。大学で学んだことがそのまま仕事にも直結します。
医歯薬系の先生になるにも国家試験を通らないといけないので、大学に入っても勉強し、実際の現場に立ってもさらに勉強を続ける必要はあります
偏差値も基本的に高い学部ですし、労働環境もブラックが多いです。うかるから受けたではダメです。相当な覚悟をもって受けないと本当に人生損します。
勝ち組のように見えて全然勝ち組でもないです
どれぐらいブラックかというのは漫画で「ブラックジャックによろしく」という漫画が一番わかりやすいです。
内容は医者だけですが、開業医も近いものがあったりすると思いますので、気になる人はぜひ読んでみてください
学校の先生
学校の先生は5教科を教える人なのでそのままですよね
今まで学んできたことがそのまま活用されます。しかし、先生となると頭がよくても教え方が上手くないといけません。
それに先ほども書きましたが、教鞭を取るだけでなく、生徒指導も必要で教える以外のことのほうが多い場合があります
さらに、先生になるためにも大学で教職課程を別で取らないといけませんし、大学4年生には教育実習そして8月には教員採用試験とかなり忙しいのです
小学校の先生ともなれば基本教育学部でしか小学校の教員免許は取れません。他の学部からでは、他大学の講義をわざわざ受けないといけない手間が増えます
基本学校の内容をそのまま仕事で活かすには仕事に就く前から頑張らないといけないのです。それが出来るというのなら目指してもいいと思います。
研究分野
主に理系の大学で大学院まで進学し、修士号を取った人はこの職に就くことが多いと思います
しかしこれも楽しくないとかなりつらいと思います。しかも、相手は会社内で早くしろと開発をかなり迫られると思います
実際私のところでも現場と研究のほうでいがみ合うことが多いです。でもそれはお互いさまで、現場は現場でこっちのこと何も見ないでいやがってと思っていますが
研究も研究でクソ忙しいときに面倒ごと押し付けるなと思っているかもしれません。
でも研究にいる人たちは少しかわいそうで何かというと。この部署にいる人たちは基本頭がいいので、わからなかったりすると「頭いいのにこんなんもわからないの?」と言われる可能性もあります
これパワハラなんですけどこういう人実際にいます。周りから早く開発しろとせかされ、いざ問題起きたら何とかしろよと怒鳴られ、もう踏んだり蹴ったりです
会社の利益のためにやっているのでもう少し優しくしてあげてください
それでも勉強に対して文句を言う人へ
自分の評価は他人に評価してもらって初めて上がる
自分の評価というのは自分では上げれません。市場価値という言葉を耳にしたことがあるかもしれませんが
市場価値を高めるには結局他人に評価されないと何も上がらないのです
どれだけ自分はすごい出来るんだと思っていても他人があいつはダメだとなれば一切評価は上がりません
もうわかりますよね。そう、自分の価値は自分では決めれないのです。
世の中生き残るためには他人からの評価がないと生き残れません。これは変りもない事実です。
人のためにやるのではなく、人から評価してもらうためにやる、そう考えれば今まで話してきた内容も納得できると思います
昔は親に褒めてもらうために勉強した子もいる
こんな人はいませんでしたでしょうか。テストの点数で高い点を取ったら親に見せて褒められたということを
実はそれと同じなのです。世の中はそれで褒めてもらう部分が評価に変わるだけなのです
なので昔親に見せてたことと全く同じことをすればいいのです
相手が他人になるだけで同じことをするだけなので、みなさんは頑張って勉強しましょう
「役に立つため」ではなく「評価してもらう」ために勉強する
とはいっても性格なんてそう変わらないよと思う人が多いと思います
そういう人は性格ではなく、「考え方」を変えるのです
学校の勉強はほとんど役には立ちません。役に立たないから勉強なんて無駄、それより自分の好きなことをすればいいなんて思うかもしれません
それでは一生よくならないので、「役に立つ」ではなく「評価してもらう」という考え方に変えましょう
勉強しないと評価されないのでこの教科は好きだとか嫌いだとか言ってる場合じゃなくなります
なにがなんでも勉強しないと評価されませんし、自分の市場価値もあがりません。
なので、やだやだとだだこねてる暇があったら少しでも評価をしてもらうために勉強をしましょう
先生に文句を言う人は評価される機会を失っている
たまに先生の教え方が悪いという人がいると思います
それでやる気がないとか私からしたらただの言い訳です
いくら先生に面白い授業やわかりやすい授業をしてくれと言っても聞かないやつは聞きませんし効果も出るとは限りません
人に文句を言ってる時間があったら少しでも自分で内容がわかるように勉強すべきです
それに授業なんてのは万人受けのやり方でしか授業をしないので、それぞれのやり方に合わないなんてのは当たり前です
それが嫌なら自分でなんとかするしかないです。誰も助けてはくれません。
嫌というなら自力で頑張るしかないです
まとめ
・5教科学ぶ意味とは他人から評価してもらうための最良な方法
・先生は忙しいので各個人の評価項目は作れない
・所詮評価項目でしかないので社会にでたら使わない(一部例外あり)
・むしろ社会に出てから勉強する
・「役に立つ」より「評価されるため」と考え方を変える
・他人のせいにするくらいなら自力で頑張れ
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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